いぶしん(井普請)と市民協働

「明日はいぶしん」といえばこの地方では「ご苦労様」と返事が帰ってくるほど日常の会話の中で一般名詞のように扱われているが、全国的には"?"という感じだろうか。

ちなみに、「井普請 いぶしん」と検索してみると、リンクされるサイトはほぼ、郡上や飛騨のものばかり、チョーローカルな一般名詞(一般ではないか)となります。

もちろん辞書にも出てこないこの名詞の意味は「田んぼに引く用水路の清掃」という意味合いで使われていて、一年に一度、田んぼの作業が始まる4月中旬に地域の各所で実施されています。

多くの家が農作業に従事していた、山間の集落では当たり前の共同事業として、農事(田植えとか)の共同作業以外にも、このような一部公共的な施設整備の管理補修を昔から地域住民で整備していました。

(農家の減った)今もその頃の名残りとして、集落全体で用水路や排水路、側溝や枡などの維持管理として実施されています。

「農家以外の人がよくそんな作業に付き合ってくれますね」という声が聞こえてきそうですが、そんなことを言える人は田舎にはいません。

確かに、心の中では"?"と思うことはあるのでしょてぅが、地域の皆が出て行うこの作業は、言ってみれば祭りなどの地域イベントの延長のようなもので、皆が集まって、共同の作業をすることに意味があるのです。

世代を超えての作業であるこのような機会が極端に減った地域社会の中で、技術の継承をする機会であり、おじいちゃん世代の昔し話を聞ける機会であり、ご近所世帯の変化などを知る機会でもあり、それは、コミュニティ機能を維持していくために必要な情報共有の仕組みでもあるわけです。

それは単に農業集落を維持するためのものではなく、いざという時の防災や消防用水を確保維持するための自主防災の機能にも直結しています。

そのような意味で、この井普請というイベントは、地域社会の共同性を再確認する機会であり、自立した地域機能を維持していくための主体的行事として、自治会が取り組む最重要な行事として位置づけられています。

市民協働の"役割"は未だ「なんだか分からない」という市民の声もありますが、実は自分達の足元にその基礎があるのだということを示す最も良いモデルだと思うわけです。